シャスタから種田に戻ってきたら、世界が変わっていた。

カリフォルニア北部にそびえ立つシャスタ山の麓、マウントシャスタシティに滞在すること1か月。
何度かブログを更新しようと思ったものの何をどう書いたらわからないまま一月が経ち、そのまま国東に戻ってきてしまった。友人たちに会い「どうだった?」と聞かれても「なんだかすごかった」としか伝えられず、正直まったく消化しきれていない。それでも種田で数日過ごして少し落ち着いてきて、不意に自分の中で何かが完全に変わってしまったことに気がついた。


【アナスタシアとの出会い】

シャスタに行く前に、長崎県佐世保市で行われた無農薬・無肥料の農業実習に参加した(参考記事:佐世保に土づくりの農業実習に行った。)。この時に薦められた本が「アナスタシア」。

ロシア人の著者が、シベリアのタイガにたったひとりで暮らす女性アナスタシアと出会い、タイガの森の中で数日をともに過ごした記録だそうだ。(「だそうだ」というのは、この本の内容は私たちが普段認識している世界の姿とは遥かにかけ離れていて、これを真実だと思うのもフィクションだと思うのも読者に委ねられていることによる。)

農業実習で、「害虫にどう対応するか」という質問に対し「害虫というものがそもそも存在しない」という話になった。なぜか。虫は本来地球において分解者であり、弱ってしまった個体を分解し浄化する、「ナウシカ」でいう腐海の役割を担っているからだ。このとき、講師は「全部『アナスタシア』に書いてある」と言った。
(一見健全な野菜も、画一化された種から生まれ同じサイズに育てられている。人間に置き換えて考えてみたらこれは明らかに不自然な状態で、いい土で自由にのびのびと育った丈夫な野菜には虫はつきにくいというデータも見せてもらった。)(これは虫の役割についての話であり、慣行栽培を否定するものではない。慣行栽培は充分な収穫を比較的安定して得ることができ、効率的に各地に新鮮な野菜を届けることのできるシステムだと私は思っている。)

アナスタシアは、森の中で家も持たずに動物たちと暮らしている。といっても、狼少女のような暮らしではない。他者の意識とつながることができ、都市部での暮らしや最先端の技術も知っているし、過去についても知ることができる。そして未来を描き、実現する力を持っている。アナスタシアは「愛」について語り、植物の持つ偉大な力について話す。そして、物事の枝葉ではなく、本質に目を向けることを説く。


【畑を裸足で歩く】

Amazonで買ったはいいもののまだ目を通していなかったこの本を読みながら、私はアメリカに向かった。そこで何があったかについては書き尽くせないので結果だけ書くと、私は今までずっと長靴で入っていた自分の畑に裸足で入るようになった。(これはアナスタシアが薦めている。)

まだ日の昇らない畑はひんやりと肌寒くて、空には月が浮かんでいる。一歩進むたび、足先で朝露が弾けるのがわかる。地面はほのあたたかくて、土も、草も、足の裏にあたる感触はとても柔らかい。こうして裸足で入ってみると、土や苗や、雑草や虫でさえも、自分と同じものだという感覚が生まれる。
すべての苗に声をかけながら歩いて、新しい花が開いていたら立ち止まる。雑草は抜いて、マルチとして苗の根元に横たえる。そうして畑でしばらく時間を過ごしていると、太陽が昇ってくる。太陽の光が当たると、空気がどんどんあたたまってくるのが伝わる。

この一体化する感覚はとても気持ちが良くて、今朝は雨が降っていたので一時サンダルで畑に行ったものの、なんだか物足りなくてもう一度裸足で行ってしまったほど。
IMG_2591早朝の月。
IMG_2592朝露を乗せた里芋の葉が、風に揺れる。
IMG_2604庭の苔。まるでじゅうたんのようにふかふか。


今思えば、小さい頃からあまり土に触れたことのない私にとって、土は汚いもので、虫は怖いものだった。野菜を育てるのは面白そうだと思ってはじめたけれど、その時点では私と畑は全く異質の存在だった。
大地と、宇宙と、すべての生きとし生けるものはつながっている。頭ではまだよくわかっていないけれど、感覚がそう言っている。それはきっととても素敵なことで、だから私は足裏に大地を感じるたびにこんなにも幸せを感じるのだ。

種田に引っ越す前に住んでいた家は庭も畑もなく、とてもこんな変化は体験できなかっただろう。そう思うと、シャスタには行くべきタイミングで行けたのだし、種田にはやはり住むべくして住んでいるのではないか。
自分の中で、何かひとつ腑に落ちたように感じている。