読みやすい文章の書き方をハリウッドに学ぶ。

最近、文章を褒めていただくことが増えた。
しかし、私の文章が読みやすいのだとしたら、それは私に才能があるからではない。ただのスキルだ。つまり、誰にでも書ける。

ブログを書くときは、大学時代に叩き込まれたアメリカ式の論文の書き方、「国東探訪」(参考:国東探訪について)を作るときは、ハリウッド式の脚本術をベースにしている。
特に「国東探訪」は、読んでいて楽しいものにしたいので、物語的な起承転結を意識している。

私の教科書はこちら。(現在は売っていないようですが、似たような本がいろいろ出ています。たぶん基本はどれも同じ。)

合理的なアメリカらしく、ハリウッドでは脚本の書き方もマニュアル化されているらしい。これを知っていると、文章に限らず、人前でまとまった内容を話さなければいけないときにも使える。また、映画を鑑賞するときに、ストーリー構成という視点から見るのも楽しい。

ここでは、いろいろと便利なハリウッド式の脚本術を、大まかに3つのステップに分けてご紹介したい。

1.素材を集める

文章を書く作業は、実際に書き始める前からすでに始まっている。

人の興味を引く素材をどれだけ集められるかは、面白い文章の大切な構成要素のひとつだ。どれだけドラマティックな構成にしても、書いてある内容がものすごく普通(もしくはありがち)であれば、ドラマティックにはならない。とはいえ、変わったネタやエピソードである必要はない。「自分独自の視点」というのは十分に面白さだろう。

物語を書くならば、まずはキャラクターの設定や具体的なエピソードをたくさん作る。「国東探訪」であれば、資料やデータ、写真などを集める。
文章として形になる分の、少なくとも倍は集めたい。

集めた素材は、整理整頓しておくと後が楽だ。
PCでの作業なら、検索しやすいファイル名をつけたり、同じフォルダにまとめる。アナログ派ならば、ふせんに書き出しておく。
私はふせんを愛用している。全体を見渡すのが簡単だし、次の作業で並べ替えるのにも便利だからだ。

2.並べる

次に、集めた素材を並べ替える。
基本的には、「起」「承」「転」「結」で全体量を4分割する。
1時間の講演原稿であれば15分ずつだし、1000字の文章なら250字が目安だ。(もちろんぴったりである必要はない。あくまで目安だ。)

一度、ハリウッドの脚本の話に戻ろう。
2時間程度の映画を一本思い浮かべてほしい。

 1:0分〜 物語の背景の紹介
   (場所、年代、登場人物、世界の前提など)
 2:30分 何かが起こって物語が動き始める
 3:1時間 「転」それまでの常識がひっくり返る
 4:1時間半 最後の戦い・クライマックスのはじまり
   エンディング

改めて映画を見ると、実に多くの映画がこんな構成になっている。
スター・ウォーズのエピソード4でいうと、

 1:姫、ドロイド、ダース・ベイダー、ルーク、オビ=ワン登場
 2:30分 姫のメッセージを見る→旅立ちへ
 3:1時間 デス・スターに出会う→これ倒せるの…?
 4:1時間半 オビ=ワンが死ぬ→破壊ミッションへ
   勝利

こんなふうに物語が動いている。
ちなみに、旧三部作(エピソード4〜6)の真ん中では、敵だと思っていたあの人の重大な秘密が明らかになるし(見てない人にも見て欲しいのであえて伏せます。)、新旧三部作(エピソード1〜6)の真ん中では、アナキンが暗黒面に落ちてしまう。(この視点で見ると、新旧三部作の主人公は完全にアナキンだなあと思う。)
ジョージ・ルーカスは、神話の構成を熱心に学んでエピソード4の脚本を書き上げたことで有名だが、物語全体も入れ子構造になっているのがわかる。

「起」「承」「転」「結」の中でも、特に真ん中の「転」はとても大事だ。
もう少し例を挙げてみよう。「転」では、こんなことが起きたりする。

 ・殺人事件の犯人だと思われていた人物が、真犯人によって殺される
 ・敵を本気で倒しに行ったら、予想外の反撃を食らって逆に大ダメージ
 ・味方のひとりが、実は黒幕だった

今までAに向かってすべてが進んでいたのに、Aが成立しないということが明らかになる。それによって、強制的に方向転換を迫られるタイミングなのだ。(伝わるだろうか。)
これによって、盛り上がりが生まれ、リズムができる。

国東探訪では、「この神社はこんな謂れがある。〜(ここで関連資料の紹介など)〜しかし、それだけでは説明のつかないことがある」というように、真ん中くらいに、それまでの話をひっくり返すような謎をはさみこむようにしている。
「転」から作っているといっても過言ではない。

3.捨てる

最初に素材を集めることが大切だと言ったが、それと同じくらい、集めた素材を捨てることが大切だ。
どんなに気に入っているエピソードであっても、物語の軸がぼやけるものは捨てる。捨てきれなくて、主人公の性格や動機がぼやけてしまったり、物語が混乱したりしてしまう映画もよくある。

わかりやすくするためには、仕方ないのだ。
涙を呑んで捨てよう。

国東探訪では、本文に盛り込めなかった面白い話を、写真のキャプションとしてなるべくリサイクルしている。

最後に

以上、3ステップを紹介した。

「ハリウッド式」と大胆に銘打ったが、私自身はそれほど厳密に運用しているわけではない。改めて国東探訪を読み直したら、全く乗っ取っていない可能性もあるなと思いつつこの記事を書いている。書き始めるときは常にこの構成どおりに組み立てるのだが、国東探訪は4000字程度なので、そんなに盛り上げなくても読み進めてもらいやすい。そういう場合は、最終稿にたどり着く前に構成自体を捨ててしまう。
機械的に構成を立てられるのはとても楽だし、何よりも実際に「わかりやすい」「内容の割にさらっと読める」とお褒めの言葉をいただいている。さすがハリウッド。

何かの折に役立ててもらえれば幸いである。

クラウドファンディングで得られたものが大きすぎて驚いた。

クラウドファンディングのプロジェクトを立ててみた。

国東愛が高じすぎて、自腹で印刷してただで配布するという、ドMフリーペーパー「国東探訪」を作っている。(「国東探訪」について
しかし「これではやっていけない」とようやく気づき、悩んだ末、2017年度はクラウドファンディングで印刷費を支援してもらえないだろうかと考えてプロジェクトを立てるに至った。


結果。

なんと、プロジェクト開始3日で成立した。(ありがとうございます!!!)

達成後も支援してくださる方がいて、予想外に増刷までできることになった。今までは200部しか印刷していなかったので、なるべく節約しながら配っていたが、現在の支援額から逆算すると500部刷れる。
2.5倍である。
まるで夢のようだ。(ありがとうございます!!!!!)


葛藤。

さあプロジェクトを公開しよう!という瞬間、「クラウドファンディングをしないほうがいい理由」がまるで走馬灯のように頭を駆け巡った。
「100万円レベルのプロジェクトが並ぶ中、6万8千円ってどうなの」にはじまり、「集まるわけないよ」「それくらい自分で出せばいいじゃん」「甘えてるんじゃないの?」と心の声に罵倒された。

今思うと、私は恥ずかしかったし、怖かったのだ。

クラウドファンディングというのは、要するに「私は(金銭的な意味で)困っているので、誰か助けてください」と求めることだ。
他のプロジェクトを見ていると、地域を盛り上げたいとか、新しい場所を創りたいとか、どれもきらきらと輝いて見える。
一方の私はといえば、事業規模の小ささもさることながら、新規事業ですらない。「ノープランではじめたら困ってしまったので、助けてください」と言っているに等しい。図々しいにも程がある。

私は基本的に見栄っ張りなので、きちんとしていると思われたい。
「やめておこうかな」と一瞬考えた。


恐怖の先へ進む。

私が「これはやりたくないな」と思うときには2種類ある。
ひとつは、身体の奥底から警鐘が響いてくるとき。
理屈の上ではどんなに素晴らしいプランであっても、「なんとなくこれはやばい」と感じることがある。そしてその勘は大抵当たる。
もうひとつは、「怖い」と感じるときである。

人間は、未知のものに対して恐怖を覚える生き物だそうだ。
「怖い」と感じるときは、既知の領域から踏み出そうとしているとき。
だから「わー、なんかよくわかんないけどどうしよう!」みたいなときは、とりあえず進むようにしている。

「やめておこうか」と頭に浮かんだとき、同時に「あ、私は怖がってるな」と感じた。
怖いなら、行くしかない。
不安をはじめとするすべての後ろ向きな気持ちを一瞬だけ封印して、プロジェクトを公開した。

結論から言えば、進んで正解だった。


クラウドファンディングで私が得たもの。

クラウドファンディングは資金を集めるための方法だが、得られたのは金銭的な支援だけではない。
「じゃあ、それはなんなのか?」と聞かれると、自分の中でもまだまとまっていない。

強いて言うなら、「生きていてもいいんだよ」と自分の存在を肯定されたときの感覚に似ている気がする。(ということは、ただの承認欲求かもしれない。)

今思えば、私にとって「国東探訪」というのは、完全に閉じた世界だった。
「面白かった」とか「楽しみにしてる」と声をかけてもらうことはあったけれども、頭では理解していても心には届いていなくて、常に「私の、私による、私のためのフリーペーパー」だったように思う。

今回、本当に、いろいろな立場の人がいろいろな理由で支援をしてくれたことに、それはもう本当に驚いていて、なんというか、海外ドラマで棺桶に入れられたまま墓地に埋められてしまって一生懸命外に向けて叫んでいたら助けが来てくれて「あ、私の声をちゃんと聞いてくれた人がいたんだ」みたいな、そんな気持ちです。(これを読んだ人にどう伝わるのか想像しきれてないですが、私の心が驚きと感謝と生きる歓びに満ち溢れています。)
何だかわからないなりに、とてもとても大切なことに気がつくことができたという確信があるのだけれど、それがなんなのかはこれから見えてくるのかもしれない。


古代ロマンと謎があふれる国東半島のフリーペーパー「国東探訪」を継続したい

田舎における「百姓」という働き方

まず先に弁明したい。
この記事において私はあえて「田舎」という言葉を使おうと思う。

本来、私はあまり「田舎」という表現が好きではない。
私は新潟出身だが、「新潟って米以外に何かあるの?」と聞かれたり、「田舎いいなあ、羨ましい」なんて言われると「何もない」ことをことさら強調されているようで内心やきもきしてしまったり、言っている本人は全く他意がないのはわかっているけれどもひとりでコンプレックスをちくちく刺激されてきたというありがちな経緯がある。
(今は新潟も大好きだし、何もなくていいと思っている。)
特に近年では「田舎暮らし」などポジティブな捉え方もされてきているし、自然が豊かで大らかなイメージもあるかもしれない。しかし、自分の感覚から、地方出身者にとっては地雷になりかねない単語だと考えている。
その土地の人が自ら(自虐を含め)使うならともかく、他所からやってきて「田舎」呼ばわりは失礼になりかねない。よって私は使わない、と決めている。そして、ちょっと曖昧に「地方」と表現している。

ただ、「地方」という言葉は首都圏以外の全てを含んでしまうので、ここでは、高齢化問題ど真ん中で人口減が切羽詰まった問題である地域を表して「田舎」とします。

以上、弁明終わり。


私の職業はなんなのか

初対面の方と話していて「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれると、いつも困る。

1年前なら「新潟から移住してきて、地域おこし協力隊をやっています」で済んだのだけれど(参考記事:国東市地域おこし協力隊になってみた【その1】)、今は「さあ、なんでしょう…」と答えて相手を困らせてしまうこともある。

収入源から考えると、私は間違いなく講師だ。
時間配分で言うならデザイナーかなと思うし、心の中では占い師のつもりだ。イベント主催もするし、最近はプログラミングをはじめた。

「私は何をしているのか」と改めて考えた。
結果、私は私が欲しいものを作っているのだという結論に至った。
講師は完全に収入源だし、占い師は完全に趣味の延長なのだけれど、私が「こんなイベントがあったらいいな」という企画を立て、「こんなペーパーが読みたい」と思うフリーペーパーを作り(最近作ってないです…)、今は「こんなサイトがあったらいいな」と思うサイトを作ろうとしている。

そのとき、ふと思い出した。
これは、以前聞いた「百姓」というものなのではないか。


百姓とは

「百姓」には、農民、農業を営む人という意味がある。
しかし、かつては農民と言っても農業だけをやっていたのではなく、大工仕事であったり藁を編んだり、暮らしを営むのに必要な様々な仕事を誰もがしていた。だから「百姓」とは「百の仕事を持つ」という意味なのだという。

(これに関してはおそらく諸説あり、「百姓」は「百」の「姓(かばね)」という文字通り、古代においては「さまざまな姓を持つ貴族や公民」を意味しており、その後「庶民」を表す言葉になり、江戸時代以降に「農民」という意味が一般的になったという説明もあった。)

これまで、仕事はより専門化、細分化されてきた。そのほうがより効率的だからだ。
笠地蔵に出てくるおじいさんは、自分で材料を作り、製品化して手で販売していた。今も、たとえばパン屋さんは自分で作ったパンを自分で売る。しかし、小麦をはじめとする材料は(多くの場合)仕入れている。会社になれば、製造部門、営業部門など、作る人と売る人が完全に分かれていることも多い。さらに大きな企業になれば、総務、人事、経理など、多くの部署を抱えている。
しかし、これからの時代は、ひとりが複数の仕事を持つようになる。

そんな話を聞いたのは数年前。
私も会計の仕事をしていた。
その後、大企業が副業を認める方針を発表したりして、より働き方の多様性が身近になってきた。しかしその一方で、就職活動に失敗して自殺する学生が増えている、なんてニュースもあった。大学の多い都市部においては特に、生き方の多様性なんて夢物語のようにしか響かないのかもしれない。(それ以前に、そんなキーワードが入ってこないのかもしれない。)

国東でも、昔はどこの家でも七島藺(イグサとは別の、畳の原料)を編んでいたと聞く。今も普通にコンクリを打てるおいちゃんがたくさんいる。主に農業を営みつつ、畳表を編み、簡単な工事は自分で行う。田舎ではそれが普通だったのだろうし、今も完全になくなったとは思わない。とはいえ、「仕事とは会社に入ること」「ここには仕事がない」と、若い人が外に出て行ってしまう流れは国東でも同じだ。


国東におけるパン屋さん事情

国東近辺では最近パン屋さんの開業ラッシュだが、面白いことに皆パン屋一本ではない。いろいろ取り組んでいるうちのひとつとして、パンを作り、売っている。(おそらく誰も「パン屋です」とは名乗らないと思う。)

たとえば、国東でたくさんお金を借りて設備の整ったパン屋を作るとする。たくさん作って、たくさん売る。効率的だ。しかしいったい誰に売るのか。うちの最寄りのコンビニは、車で30分の彼方である。(関連記事:国東半島はあの世に限りなく近いと思う。)新潟市に住んでいて、車で30分圏内にどれほどのコンビニがあっただろうか。とても数え切れない。田舎の消費力の現実である。

田舎には「パンをいっぱい作れば効率がいい」という考え方は存在しない。
国東市長は、国東市の小学校の給食のパンを市内の業者に依頼したいとずっと言い続けている。しかし、パン屋さんには断られているという。
確実に顧客がいる。しかも自治体だ。パン屋を作るのに利用できる補助金制度もある。私も、これは仕事になるのではないかと市役所に話を聞きに行き、実際に計算した。しかし、給食をまかなうだけのパンを焼く設備を入れてしまったら、借金を返すためにパンを焼き続けなければならない。そして、この人口の少ない地でそのパンを売り続けなければならない。
やり方によっては、うまくいく可能性はあると思う。しかし、それよりは他のところをがんばったほうが、もっとずっと豊かな暮らしができる。私だけではなく、今までこの話を聞いたすべての人がそう考えた結果、今も残念ながら国東市の給食のパンは市外の業者さんに頼んでいる。(地元のパン屋さんのパンを小学生に給食で食べてもらいたい、という市長の思いには賛同する。)
田舎のパン屋さんは、パンを焼くだけではないのだ。そういう生き方が、ここには普通に存在している。


「日本は、これから人口減少や高齢化問題と直面していなければならない。そのときに、田舎がモデルケースになる。今、私たちの目の前で起きていることこそが、日本の最先端なのだ」という話をしてくれたのは、近所に住むイラストレーターであり陶芸家であり、空き家問題についていろんなところで講演もされていて、今や「何屋なのかわからない」という中野さんだ。(参考サイト:宮崎日日新聞「空き家再生策紹介 宮崎市の研究会で専門家講演」)まさに最先端。

そう考えると、自分でも何をしているのかよくわからない私も百姓であり、それはきっと最先端なのだ。