豊後高田市で家を探す【その2】

前回の記事:豊後高田市で家を探す。【その1】

翌朝、豊後高田市役所で伊藤さん(仮名)と待ち合わせた。
この日向かった空き家は旧香々地町に位置しており、市役所から車で約30分ほどだという(最寄りの宇佐駅からは約40分)。伊藤さんの運転する車を追って、海沿いの国道213号線を北へ走る。この道路は「日本の夕日百選」にも選ばれた真玉海岸を通る眺めのいい道で、バスも通っている(1日8本程度)。スーパーやホームセンターも点在する比較的便利な道だ。
213号を逸れ、川沿いを山のほうに入っていくと田畑が広がっている。(これだけ国道から離れてしまうと送迎なしで人に来てもらうのはちょっと無理だな、と思う。)川沿いなので圧迫感はないが、自転車どころか人ともすれ違えないのではないかと思うほど細い道を進み、目的地にたどり着いた。


【空き家を見学する】

大正時代に建てられたというその家はとにかく広く、1階に7部屋、2階に3部屋もあり、作業所と倉庫が併設されている。さらに家の裏には約300平米の畑があり、立派なびわの木が2本も植えられていた。時期になると実をつけるらしい。空き家オーナーの寺崎さん(仮名)は伊藤さんと「今なんてスーパーでびわを売ってるじゃないですか」「昔はどこのうちにもあったのにねえ」なんて会話をしている。畑の奥は竹林になっていて、春先にはたけのこが取り放題だという。(ご近所さんの植えた竹が繁殖してしまったらしい。)
畑とびわ・たけのこ付きの一軒家は、お値段なんと150万円(応相談)だ。

畳もそれほど痛んでおらず、ぼろぼろになった障子を張り替えればすぐにでも住めそうな部屋もある。採光もいい。作業所と倉庫については使われなくなって久しいのかだいぶ荒れた様子だった。昔使われていたというしいたけの乾燥機や巨大なざるが残されている。台所には食器棚が、和室には日本人形が置かれたままで、こういった家財道具の処分についてもどうするか考えないといけないのだなと思う。(基本的にはオーナーさんと相談。)

この家について特筆すべきは薪焚きの風呂だ。
バスタブのちょうど外の土間に薪を焼べる場所がある。(写真をとらなかったのが残念で仕方ない。)寺崎さんが「ボイラーをつけないとだめだな」なんて言うので「(薪で焚いてみたいので)このままがいいです!」と主張したら「誰かが薪を焼べていないと温度が下がってしまう」と却下された。なるほど、それはひとりでは無理だ。しかし、ボイラー併設という手もあると教えてもらった。もっとも現在では薪の入手も難しいという問題もあり、薪焚きは現実的ではないようだった。

トイレについては汲取式だが、洋式風の便座が据え付けられていた。
汲取式を水洗にリフォームしたい場合、1簡易水洗にする、2下水道をひく、3浄化槽を設置する、という方法があるらしい。1簡易水洗はその名の通り、一見水洗だが中身は汲取式のままというもっとも安価な手段だが、水を一緒に流すために汲取回数が増えるというデメリットがある。2下水道が近くまでひかれていれば比較的安く工事ができるそうだが、下水道が遠い場合は3浄化槽を設置することになる。台所排水と合わせて合併浄化槽を設置するのが一般的なようで、費用としては100万程度かかるが国から補助金も出るらしい。このエリアは家の前まで下水道は通っているが、工事費とべつに負担金15万円が必要とのことだった。

寺崎さんは、家の目の前の小川をはさんですぐ向かいに住んでいるという。今もしいたけ農家を営んでいるそうで「ここに来たらしいたけ食べ放題だよ」と言ってくれた。


【今日のまとめ】

今回は売買物件だったのだが、なんというか、家を所有することの責任を感じた。それまでは「家を買ったほうが(いろんな意味で)面白そう」と思っていたが、「とりあえず賃貸でもいいかもしれない」と尻込みする気持ちが生まれた。とは言っても、どちらとも決めるつもりはまだない。今後なるようになるだろう。
(余談だが、自分のトイレに対するこだわりにはじめて気がついた。トイレで考えごとをするほうだからか、可能な限り快適な空間にしたいらしい。)
部屋数といい畑といい、5〜6人でシェアするにはかなりいい物件だと思うのだが、いかんせんひとりでは広すぎる。シェアしたい方はぜひご連絡ください。

続きはこちら:豊後高田市で家を探す【その3】

豊後高田市で家を探す【その1】

「国東半島に住みたい!」と一度思ってしまったら居ても立ってもいられず、とりあえずもう一度現地に行ってみようと決めた。航空券を手配したところまでは良かったのだが、しばらく慌ただしく過ごしていて碌に下調べもできないまま当日を迎えてしまった。


【大分に行く】

大分空港につき、とりあえずレンタカーを借りる。(車がないと基本的に生活できない。)
しかし向かう当てがないことに気づき、とりあえず豊後高田市役所に電話をした。
「えーと、あの、豊後高田市に移住したいんですけれども…」と要領を得ないままに言うと、受付の方が地域活力創造課につないでくれた。そこでもう一度、豊後高田市に住みたいこと、空き家バンクに興味があること、そしてもうすでに大分に着いてしまったことを伝える。「資料でもいただければと思いまして」とさも考えていたかのように付け加えると、職員さんは快く承諾してくれて「市役所の2階の奥です」と教えてくれた。

豊後高田市は「住みたい田舎」ランキングで全国1位になったこともあり、すでに転入数が転出数を超えているという、いわば「成功例」である。市役所の伊藤さん(仮名)は、「移住は順調に進んでいるので、定住を進めていこうとしているところです」「今住んでいる方々にとって住みやすい町でなければ、定住してもらえませんから」と話してくれた。用意してくださった資料によると子育てや教育にも力を入れているらしく、市役所のすぐ隣の図書館も素晴らしく綺麗で居心地が良い。
移住関連では、空き家の改修に補助金が出たり、空き家の見学ツアーや市内で一定期間体験移住ができるという制度もある。新規就農者支援にも取り組んでいるので、農業に興味のある人なら「地方に暮らしながら農業を営む」体験もできそうだ。


【空き家リストを閲覧する】

空き家バンクを利用したい場合は、はじめに「利用希望登録」が必要だ。
本来であれば事前に登録しておくと話が早いのだが、もちろんそんなことはしていない。とはいえ、その場で登録申請書を書くと早速分厚い物件ファイルを閲覧させてもらえた。気になった物件をチェックしていく。基本的には賃貸が多く、売買物件は数件程度。賃貸の相場はだいたい月1万円から5万円ほど。月1万の物件はどこかしら改修が必要で、改修費用を自分で持つ代わりに毎月の費用が抑えられる仕組みになっている。長く住むのであれば自分で改修するほうが得ともいえるが、すぐ住みたいのであればもう少し家賃を払ったほうが楽だと個人的には思う。(ちなみに月1万の物件はすべてトイレが汲取式だった。)

すべての資料に目を通し、賃貸2件売買2件の計4件をピックアップした。伊藤さんに「大分には明後日までしかいないんですが…」と切り出すと、「こちらで大家さんに連絡をとってみて、もしご都合つく方がいらっしゃったらご連絡しますね」と笑顔で答えてくださった。ありがたい。
その後電話をいただき、翌日に1件、さらに翌日にもう1件連れていってもらえることになった。偶然どちらも売買物件で「これは買う流れなんだろうか」とこっそり思う。


【今日のまとめ】

移住しようと豊後高田市に向かうなら、
  1.「豊後高田市IJU(移住)支援サイト」へアクセス。
  2.空き家バンクに興味がある場合「利用希望登録」の申込書と誓約書をダウンロードして記入。
    送付またはFAXで申し込む。
  3.支援サイト上でも物件の概要は見ることができる。
    気になる物件があったら問い合わせると、詳細を教えてくれる。

この物件を見たい!と決めたら、市役所がオーナーとの日程調整をしてくれる。優しく対応してもらえるので気軽に連絡をとってみるといい。数件アポをとってから豊後高田市に向かうと、無駄がなく見てまわれるだろう。

続きはこちら:豊後高田市で家を探す【その2】
       豊後高田市で家を探す【その3】

1月を振り返る。

1月前半は普通に過ごしていたと思うのだけれど、後半はとにかく移動した。
新潟→(成田→)沖縄→新潟→(成田→)台湾→(成田→)新潟→(成田→)大分、で今日に至る。ようやく月末に辿り着いて感じたのは、「忙しくないと充実していないような気がする」病に陥っているのではないかということ。来月は四国と九州、再来月は北海道とアメリカに行く予定を入れてしまった。入れてしまったからには私に必要な旅行なのだとは思うのだけれど、何もない時間をもっと大事にする気持ちを持ちたい。

台湾に行くと決めたとき、友人が「観光じゃないことがしたい」と言うのを聞いて、なるほど!と思った。それはたしかに面白そうだったので、私も台湾人の営むゲストハウスを予約し、現地で開催されるワークショップを予約し、なるべく現地の人との接触を試みた。結果、ものすごく面白かった。ゲストハウスには各国から人が集まっていて、台湾だけでなくアメリカとヨーロッパに友人ができた。しかし、それ以上に自分の中で大きな変化があった。

私は高校の頃にアメリカに留学していたのだけれど、それはずっと自分にとっては良い思い出ではなかった。別にアメリカに興味があるわけでも英語が話せるようになりたかったわけでもなく、高校生活がなんとなくつまらなかったという理由で留学を選んでしまったこと。それまで日本でうまくやっていくために無意識に磨いてきたスキル(適当に微笑んでやりすごすとか。いわゆる空気を読む技術)が、アメリカではまったく通用しないこと。自分の弱さや薄っぺらさと日々向き合わされ、それまで築いてきた自信を徹底的に崩されたと感じていた。
しかし今回はじめて、留学も自分に必要な経験だったのだと感覚的に納得した。アメリカではなんども合宿に参加する(させられる)機会があったのだけれど、私はあの人まみれの空間に本当になじめなくていつもいつも「帰りたい」と思っていた。それでも今回、多言語が飛び交い多国籍の人が行き交うゲストハウスの中で、自分がどうふるまえばいいのか私はなぜか知っていた。そして、今回は「帰りたい」と一度も思わなかった。当時の記憶は私の中に今も生きていて、ともに成長しているのだと思った。
「過去は変えられない」も「過去は変えられる」も、どちらもそのとおりだと感じた。

明日は新潟に帰る。