ブックカバーを買ってから、カバーに合う本を選ぶ。

スカイツリーのお膝元、墨田区向島に一軒家を改装したカフェがある。

お茶が大好きで、提供するメニューにもすべてお茶を使っているというikkaさん。その二階に、甘夏書店さんという古書屋さん(と呼ぶにはあまりに可愛らしい手ぬぐいや紙雑貨も扱っている素敵なお店)がある。


久しぶりに寄った甘夏書店さんで、ブックカバーを買った。いいなあいいなあと思って選んでいるうちに、3種類(7冊分)も買ってしまった。

店主のあけみさんは、本と紙が好きで、そしてきっと人が好きなのだろうなと思う。何かひとつ手に取ると「そのリトルプレスはね」とか「その手ぬぐいは、実は」とか、作った人のことや経緯、思いをそれは楽しそうに話してくれる。(東京で唯一甘夏書店さんに国東探訪を置いてもらっているのだけれど、あれを手に取った人にあけみさんはどんな話をするのだろうと気になっている。)
ブックカバーのうち2種(ブッダとハシビロコウ)は自分の好きな本につけようと選んだのだが、もう1種類は最初は買うつもりではなかった。エアコンの室外機だとか煉瓦造りの壁だとか、東京の何気ない風景を切り取った写真をプリントした紙のカバーだったのだけれど、「本に巻くとこんな感じになるの」とあけみさんが見せてくれた文庫本が、懐かしくもどこか寂しげな佇まいで、「このカバーを巻いてある本を読みたい」と思ってしまって迷わず買った。

ブックカバーを買ったので、そのカバーを巻きたい本を選ぶことにした。

ちょうど金井美恵子の文章について想いを馳せる機会があったので、そうだ金井美恵子のエッセイにしようと思い立ち、Amazonで「猫の一生」というこれまたちょうどいいタイトルの本を購入したのだけれど、浮かれすぎてよく見ていなかったのか、家に届いてみたら単行本で(新刊が存在せず、古書を買ったので値段では気づかなかった)、残念ながらカバーに入らなかった。「猫の一生」にはブッダのカバーをかけることにして、国東市の数少ない本屋のひとつであるGEOに行き、文庫コーナーを彷徨いながら、湊かなえもひさしぶりに読みたいけれどこのカバーには合わないなあ、伊坂幸太郎が正解かなあとぼんやり歩いていたら、背表紙に「蜷川実花になるまで」と書かれた本が目に入った。
私は蜷川実花をよく知らない。と言っても、「さくらん」や「ヘルタースケルター」の監督をしていたことは、知っている。お父さんが映画監督なのも知っているし、道後温泉に行ったら蜷川実花プロデュースのライトアップがされていて「それっぽいなあ」と感想を抱いたので、蜷川実花に対して自分なりに一定のイメージは持っている。しかし、名前をなんと読むのか、なぜか何度聞いても覚えられない。(ということはお父さんのことも文字でしかわからない。)
「なんて読むんだっけ」と思いながらもその本を手に取り、数ページめくったところでなぜか「この本だ!」と閃いたので、買って帰った。そして、いそいそと錆びついたガスメーターのプリントされたカバーを巻きながら、普通に本を選んでいたらきっとこの本を見過ごしていただろうなあと考えていた。


そもそも甘夏書店さんに行ったのは、水彩画の個展をするためにしばらく東京にいたからだ。

「個展をします!」と言ってみたら、いろんな方が「おめでとう」と声をかけてくれたり、期間中には本当にいろんな場所から足を運んでくださった方がいたりして(日曜日は特にカフェのお客さんも混み合っていて、せっかくおいでくださったのにゆっくり見ていただけず申し訳ありませんでした!)、ありがたいのはもちろんのこと、終始びっくりし通しだった。

どうやら、個展には成功と失敗があるようなのだけれど、ただのアマチュアである私にとって今回は「私は絵を描いています」と言うことこそが目的だったのではないかと振り返ってみて思う。誰も見てくれなくても、褒めてなんてくれなくても、「私がやりたいからやる」という自分の気持ちを確認したかったのではないか。だから、直接縁のない東京を選んだのではないか。
しかし、結果として、みんな優しいな!!ということを強く感じた5日間になった。
(お忙しい中おいでくださったみなさま、行きたいよとおっしゃってくださったみなさま、本当にありがとうございました!!!)

思い返せば、阿賀町で展示させてもらったときもそうだった。新潟市からは遠いし、「来てほしい!」と広く声をかけるには自信がなくて、かなりうじうじしていたにも関わらず、思っていたよりずっとたくさんの人が足を運んでくれた。ひとりきりで動いているつもりでも、本当は私自身が目を向けることを恐れているだけで、力強く応援してくれる人たちがいるのだということ。そういう経験を重ねる機会に恵まれて、今の私は一歩踏み出すことを迷わなくなったのだと思う。(もしかすると、今はもうちょっと迷ったほうがいいかもしれない。)


個展をしてみるという種を蒔いた結果、思いも寄らないところから芽が出た。

「個展でしばらく東京にいるなら、銀座のギャラリーに行ってみるといいよ」と言ってくれた人がいて、撤収後銀座に行った。
昭和レトロなギャラリービルをふらふらと歩いていたら、とあるギャラリーでオーナー兼画家のおじさまと話に花が咲いた。ご自身の絵についていろいろ語ってくれるのを興味深く聞いていたところ、「あなたも絵を描くの?」という流れから、持っていた絵を見てもらいつつ「大分県の国東半島というところから来たんです」と話したら、「大分か、むかし武蔵町にアパートを持っていてね」と言う。武蔵町?なんか聞いたことあるな…と一瞬思ったが、いや、それ国東市じゃん!!(10年前に合併して、武蔵町は現在国東市になっている)というまさかの偶然から再び話が盛り上がり、「来月ここでグループ展をするんだけど、作品を出してもらえたらうれしいな」とおっしゃってもらって、なぜか来月も展示の機会をいただいた。


まれに「個展なんてすごいね」と言ってもらうこともあったけれど、個展は会場を予約して、告知して、作品を用意したらできることなので、全然、何ひとつすごくない。ただ、その過程を経ることで自分の準備が整ったから、そんな話が降りてきてくれたのかなと感じる。
ブックカバーがあったら本がほしくなるし、「絵を描いてます!」と言い続けていたら見てもらう機会がめぐってくるものなのではないか。

「蜷川実花になるまで」は、まだほんの数ページしか読めていないのだけれど、写真家になってからの10年(発行当時)を振り返るような内容で、今までの写真家としての活動や展示について書かれているらしい。きっと、やっぱりこの本で合っていたんだなと思う。(そして、もしかしたら私も荒井ちひろになりたいのかもしれない、とも思う。)