庚申塔の勉強会に行ってきた。

国東市国見町にある涛音寮で、庚申塔の勉強会があった。

庚申信仰とは、そもそも道教由来なのだそうだ。
道教では、人には三尸(さんし)という虫が宿っているとする。60日に1度巡ってくる庚申の日には、この虫が寝ている宿主の体から抜け出して天帝にその日頃の行いを告げ口し、人の寿命を縮めさせると考えられていた。そのため、夜眠らないように皆で集まり、神々を祀って過ごした。これを庚申講、または庚申待などと呼ぶ。
この庚申講を3年18回続けた記念に建立されるのが、庚申塔だそうだ。

この庚申信仰が仏教と結びついた場合は「青面(ちょうめん)金剛」、神道と結びついた場合は猿田彦神を彫った庚申塔が多い。猿田彦神と結びついたのは、「申(さる)」につながるからというわかりやすい理由があるが、青面金剛に至っては日本独自の尊像だという。そんなところも日本らしい。

国東半島にはこの庚申塔が数多く残っている。半島全域では1000基ほどあるのではないかという話だった。
しかも「なぜこんなところに」と思うような山間にぽつんと立っていたりもする。(研究が進まないのはそういうところにも理由があるだろう。)当時の生活圏がそこだったのか。それとも他の理由でそこに建てられたのか。想像が膨らむ。

各地の庚申塔は、仁王像のように顔立ちもそれぞれユニークで、左右6本の手に持っているものも違うらしい。次にどこかで庚申塔に出会うのが楽しみになった。

日本の初期仏教についてアメリカ人から教えてもらう。

世界中のあちこちを旅行し、その中で出会った国東半島の美しさに惹かれ、今では1年に2回訪れているというアメリカ人男性に会った。

国東に来るようになって5年になるという彼は、この土地に友人知人も多いらしく、彼の友人の住む素敵な古民家を案内してくれた。古民家のすぐ奥にある神社に一緒にお参りした後(彼は拝殿に参りはしなかったが)「ここからほんの少し坂をあがると、とても日本らしい面白いものがあるよ」と言う。それならばと見に行くと、そこには真っ白いコンクリート製のダムがあった。

「面白いだろう。この下にはほんの数軒の家しかないんだよ。その数軒のためにこんな山間にこれだけのダムを作ったんだ」
「こんなに古い寺社のすぐ隣に、こんな新しいダムがある。そして、どちらも日本人の信仰の対象だ」

そこから日本の宗教観の話になり、「この土地は古くから仏教が伝わっているけれど、純粋な宗教というよりも、何らかの目的を持って持ち込まれたのだと思う」ということを伝えたところ「もちろん、そうだと思うよ」と答えてくれた。彼はコロンビア大学で日本の初期仏教について学んだそうで、私よりも詳しかった。本地垂迹説(神仏習合)は英語で”syncretism”というそうだ。

「仏教は朝鮮半島から様々な技術とともに持ち込まれている。そして、朝鮮半島からの移民である蘇我氏が…」とさらっと言うので、「ちょっと待って。蘇我氏は移民なの?」と聞くと、「英語で様々な資料を読んだけれども、私にはそうとしか思えない」のだそうだ。
「日本では古事記や日本書紀に書かれていることこそが真実だと思われているけれども、あれは当時の権力者が作らせたものだ。自分たちに都合のいいように書いていて当然だよ」

私は井沢元彦氏の「逆説の日本史」のファンなのだけれど、これこそ氏が著書で繰り返し指摘している問題点だ。(余談だが、逆説の日本史1「古代黎明編」では邪馬台国、2「古代怨霊編」では奈良の大仏、3「平安遷都と万葉集の謎」では称徳天皇と道鏡事件と、なんと3冊に渡って宇佐神宮が出てくるところも見逃せない。)

蘇我氏が移民であるという説は、主流では全くないが、日本でも見たことがある。しかし、英語圏でそれほど研究が行われているということに何より驚いた。外国の視点を通して見る日本史も面白そうだ。

彼の教えてくれた文献はこちら。
Encounter or syncretism: the initial growth of Japanese Buddhism(サイトからダウンロードできます。)